Neue Liebe Kummer

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僕の3月11日 避難編

KAI日本語スクールの一行に合流した僕は、一緒に避難先に移動することにしました。

先にも書いたように、新大久保の駅付近は、ガス管が折れてガス漏れがあったり、ビルの倒壊の危険性のため
規制が引かれたりしていました。
早稲田大学への道々でも、ブロック塀が崩れかかった家を何件も見て「これは相当の被害なのだな」と
思っていました。

しかし、その考えは、ニュースを見てあっさり崩れたのです。

早稲田大学のカフェテリアが避難所に指定されていましたが、早稲田の学生や近隣の日本語学校の生徒が
多いようで、外国人が半数近くいました。

そこには大型テレビが何面もあったのですが、そこに流れるニュースは東北地方の津波の様子。
ちょうど、火の付いた家が流れ、車の後を津波ごと追うシーンでした。
来るまでに見てきた被害など、比べ物にならない大災害に、カフェテリアにいる人はテレビの画像に集中
していました。

余震の続く中、地震を初めて体験した外国の人々はその度に驚き、周囲を見渡し、中には青い顔をしている人も
いました。

携帯電話は中々繋がらず、メールも同じく。校内に公衆電話は無いようで、皆、連絡手段を探していました。
かろうじて繋がる会社の携帯電話を貸し借りしたり、(これは後で知ったのですが)携帯のメールではなく
ウェブメールを利用したり、フェイスブックなどのSNSを使ったりしていました。

カフェテリアは、かなり冷え込む場所でした。各学校から持ち込んだ毛布を被る人も増えだしました。
それでも数には限りがあります。
幸いにもお湯とお茶は出ましたし、トイレは使えましたので、そこまで慌てずにすみました。

方々の買出しの人が戻ってきましたが、近所のコンビニには既に飲料はなく、食料品も数少なくなってると
聞きました。

集められたのはスナック菓子やチョコ菓子、何故かビールの山(せめてもの飲料だとか)。
チョコレートが人気で、一番早く無くなりました。

そのうち、KAIスクールの方が、学校にあった備蓄食料を持ってきてくれ、カップラーメンを頂きました。
先ほども書いたように、お湯は出ます。そして同じく、暖かい食料というのがありがたい物だと痛感しました。

他の学校のグループには、落ち着いたのかヤケなのか酒盛りをしだすところもあり、一方ではカードゲームや
モンハンをしだすグループもあり、なんだか雑然とした中にも余裕が出てきました。
なんとかして帰ろうと言う人たちも出てきました。
各々で帰宅班を作り、なるべく集団で帰るという形で、家が近い人は帰っていきました。

その後、なんと早稲田のカフェテリアから、炊き出しがあるという放送がありました。
おにぎり一つと唐揚げ一個ですが、そこにいた全員分に行き渡る量が配給されたのです。これは大変助かりました。
カップラーメンを食べていたとは言え、次はいつ食べられるか分かりませんし、空腹は不安を倍増させます。

そうこうしているうちに、このカフェテリアを閉鎖すると言う話が流れてきました。
結果的には、講堂に移って一夜を過ごすことになったのですが、最初はデマ的に出て行かねばならぬと思い
少し騒然としました。
このとき、正しい情報を知る必要性を痛切に感じました。

とりあえず、講堂に毛布が用意されると言う話を確認しましたので、女性・子供を優先して移動させました。

ふと思いついてミクシーにアクセスすると、繋がるではありませんか。
それを利用して、家族への伝言をお願いしました。
幸い、家族への連絡方法を知っている人が読んでくれて、無事に伝わりました。

そして、車を出してくれる人が近くにいたので、助けを求めました。
これも幸いにも読んでもらえ、渋滞なので時間は掛かりますが、ピックアップして貰えることになりました。

何度かミクシーでの連絡を繰り返し、落ち合い地点と時間が確定したので、KAIスクールの人たちにお礼と
御別れを告げて、カフェテリアを後にしました。

早稲田の横の明治通りは、帰宅する人で物凄い混雑。まさに、帰宅難民の様相を呈していました。
車道も歩道も渋滞でした。

ようやく友人と合流。この時間では動けないとのことなので、道の空いている友人の事務所に行くことに
なりました。
友人は車輌整備と言う仕事の関係で、要請があり何度か出て行きました。
その間、ラジオを聴きながら待っていたのですが、震災情報の中、聞こえてくるのは被害者の数ばかり。
特に、岩手の海岸に数百人の遺体が漂着したニュースが何度も流れ、無理と分かっていても「何とかできないか」
と考えてしまいました。

一人で留守番をしていると、被害の大きい地域の人はどれほど大変だろうかと思いを巡らします。
しかし、何も出来ないこともわかっています。

そして、余震の続く中で家族も心配です。また、岩手県に多くいる親戚の安否は皆目分かりません。

夜が明けて、友人が仕事を終えて帰ってきた後、道が空いたと家まで送ってくれることになりました。

話の通り、道はスムーズで程なく帰宅できました。
それは、JRが復旧する予定の7時よりも、そうとう早かったのです。

友人に厚く礼を言い、一晩起きていた嫁と今後の対応について話し、新聞とテレビに目を通して、
改めて被害の大きさに驚いた後、布団に入りました。

こうして、僕の長い1日が終ったのです。

もう、二ヶ月が経ちました。

ニュースの主流は、震災よりも原発に移りました。ここまでになることは、予想できませんでした。
この先も、心配です。
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テーマ:東北地方太平洋沖地震 - ジャンル:日記

  1. 2011/05/14(土) 02:07:59|
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牛島えっさい

Author:牛島えっさい
会社員。会社役員。コスプレ評論家。イメージャー。
コスプレをメインジャンルに、イベント運営、プロデュース、評論、コラム他執筆業、講演を行っています。そして僕自身コスプレイヤーです。お仕事の御依頼はメールでどうぞ。essai3@hotmail.co.jp

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